
近頃、夕刻の空に宵の明星が輝いている。明星、すなわち金星だ。
太陽に近いことから普段は目視できることは少ないのだけれど、金星の公転状況と地球との角度の関係で、日没後や夜明け前に地平線に近いところでひときわ明るく輝くのを見ることができる。

金星は、太陽系でもっとも地球に似た大きさと平均密度の、地球からもっとも近い惑星。しかし二酸化炭素の厚い大気に覆われ強酸である二酸化硫黄の雲から常に硫酸の雨が降る。
・・・てな具合にその現実はちっともロマンティックではないのだけれど、古代から「宵の明星」「明けの明星」として聖なる星として崇められてきた。今年はまだ釣りには行ってないから見てないけれど、明け方に釣りの現場に到着して未明の薄暗がりの中で夜空を見上げると、明けの明星が東の地平にひときわ明るく輝いているのを見ることがある。
仏教において、釈迦が真理を見つけたのは明けの明星が輝くの見たゆえだと伝わる。弘法大師に至っては、明けの明星が口の中に飛び込んできて悟りを開いたというから驚きだ。
だからいつも釣りのときに明けの明星を見つけると、あんぐりと口を開けてそちらの方向をしばらく見ているのだけど、明星は一向に口の中に飛び込んできてくれないし、突如として悟りを開くということもない。今日も今日とて、しばらくポカンと西の空を眺めてはみたものの、やはり悟りはやってこない。
願ってもいない者には啓示はないということか。
これでも少しは、俗世の懊悩を超越した遥かな精神の高みに至りたいと思うこともあるのだけど・・・もっとも、「我思う、故に我あり」とばかりに俗世の懊悩があるからこそ我が身の実存を確認し、その懊悩の中にこそボクがボクらしくあることができる何かのきっかけがある、などと考えるものだから、やはりそのような者には啓示は無用ということなのだろうな。
小難しい話になってしまった。
ひとりで宵の中を歩きつつ空を見上げての独り言。