10年近く前、仕事で関東に行ったときに、今も付き合いのあるワイン屋と知り合った。
当時ボクはある会社に勤めており、そこの広告宣伝と仕入販売の担当をしていて、商品の買い付けと得意先との商談のために千葉・幕張で開催される展示会に行ったときのことだ。
朝一番から展示会を回ってサクサクッと用事を済ませ、夕方から手が空いたのでブラブラと展示会場を散策して可愛いイベント・コンパニオンやキャンペーン・ガールの女の子たちを眺めて目の保養をしていたら、隣のホールで「世界の宝石展」と称する、とても面白そうな催し物を発見した。宝石関係のビジネスをする者しか入れないディーラー展のようなもので一般の部外者は入場不可だったのだけど、偶然そこで知り合いに遭遇して話をしてみると入場パスをくれるというので、それで早速、中に入ってみたのである。
入ってみると、そこは異次元、別世界の空間だった。日本人の方が少なく、欧米人はもとよりインド系やアラブ系、アフリカ系と見られる、いかにも宝石のややこしいビジネスに関わっているというイメージ通りの怪しげな顔つきをした連中が、ブースを出し、テーブルを出し、歩き回り、喧嘩するような大声で値引き交渉をし、あるいは悪どい顔をして(あくまで先入観だけど)ヒソヒソと密談したりしていて、まさに金と欲望でギラギラした熱気に包まれていた。ボクは浮き浮きして会場を歩き回り、出展しているインド人やアラブ人をからかって回ることにした。良さげな宝石を指差して拙い英語で「これええやないか」「もっと値引きしろ」などと話しかけると、すかさず電卓を出してきて同じく拙い英語だけど饒舌に「それは極上品や」「これでギリギリいっぱい」「もう負けられへんで」などと商売熱心に応酬してくる。

独りでくすくす笑いながらそうして会場を歩き回っていると、見つけたのがワインの試飲ブース。近づいていくと、きれいな日本人のおネエさんがボトルを手ににこやかに話しかけてくる。どうやら無料で飲ませてくれるらしい、ということで中に入っていくと、テーブルにズラリと並べられたワインの山。どれを飲みたいか、と訊いてくるので、見た目で気に入ったボトルのワインを指すと、おもむろにワイングラスにダバダバダバッと注いで目の前に差し出してくれた。普通、試飲会といえば、紙コップでほんの少しだけ供される安物のものしか経験がなかったため、これには驚き、そして喜んでしまった。クイクイッと2口3口で飲み干し「美味い!」と唸ると、では次はどれにするか、と訊いてくる。よし、そういうことなら、とボクは「全種制覇」のハラを決め、端から順番に出してくれと返事する。調子に乗って「美味い」「これは好みではない」「うむ、これこれ」などと、絶好調で次々に飲む。そのワイン会社のエラいさんだというドイツ人も現れて、「これは特上品だから飲んでみろ」などと高そうなワインの栓を抜いてグラスに注いでくれる。飲むと確かに美味い。「おかわりできるか」というと「気に入ったろ」と笑ってさらに注いでくれる。
かくて、「試飲会」ではなく「痛飲会」と化して、たらふく飲み、全種制覇を達成して満足したら、そこでようやく向こうのビジネスが始まった。曰く「ワシらはドイツに自社農場と本社のあるワイン会社の輸入販売のための直轄日本法人で、顧客への直接販売だけで運営しており、ゆえに中間マージンなくいいものを安くお届けできる。どうだ、せっかくだから何か買わないか、それがダメなら登録だけでもしてくれんか」との提案。値段を訊いてみると確かにいいものが安い。代金は品物の送付後に振込で良いという。ただし、半ダース単位での注文とのこと。しかし、これまでの経緯とシンプルなそのやり方に感銘を受け心動かされたボクは、ふたつ返事で「よし、買おう」と、3種類各半ダースで計18本、買うことにしたのである。
その日は大満足でへべれけに酔いつつ、浮き浮きしながら京都へと帰ってきたのだけど、次の朝起きて酔いの醒めたボクは、あのワイン屋にまんまと乗せられて酔わされ、大量に買ってしまったのではないか、との疑念がふと頭をよぎった。しかし、改めて冷静に経緯を思い出してみても、あれだけ「試飲」させてくれて、購入までの話にひとつも押し付けがましいところもなく、契約は公平でフェアだったので、疑念は払拭され、そして後悔もなかった。なにより、ホントに美味いワインを提供してくれた。そして驚くべきことに、その後数年にわたって付き合い続けていると、最初のあの時のボクの感想を担当者が記録しているのだろう、ボクの好みの味を理解し、それに即したワインを紹介してくれるのである。
だからボクは、10年近く経った今でも、このワイン屋でしかワインを買わない(途中、少しブランクはあるのだけどその間は他のワインも能動的には買っていない→
参照)。
いいワイン屋と巡り会えたことを、とてもうれしく思っているのである。