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プロフィール


まあなんというか、その。
つう感じで。
107と申します。

40歳。京都在住。♂。
しがないデザイナー
たまに毛鉤でマス釣り。
(FLYFISHING ね)

リール

こんなリールを
どこかの渓で見かけたら
それはボクです。
こんな所に居やがったかぁ〜
見つけたぞ〜 とお思いの方
あるいは通りすがりに
ちょっと興味をお持ちになった方
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ワルサーP38

ヴァルター・ぺー・アハトウントドライスィヒ。

な〜んて書くとなんのこっちゃだけど、英語で発音するとワルサー・ピー・サーティーエイト、つまりワルサーP38のことである。
1938年にナチス・ドイツ陸軍の制式銃に採用されたのでP38という名称となった、ドイツの名銃にして、かの大泥棒ルパン三世の愛用銃でもある。
♪ワルサーP38 この手の中に 抱かれたものは
 すべて消えゆく 定めなのさ ルパン三世
とテーマ曲にも歌われるので、ご記憶の方も多いことと思う。 夕焼けの中、峰不二子がオートバイにまたがり髪をなびかせて疾走するシーンに流れるむせび泣くようなブルース・ギターが、最高にカッコよかった。

写真は、そのワルサーP38のガスガン。BB弾と呼ばれるプラスチックの弾を、圧縮ガスの力で発射するおもちゃである。いつもお邪魔しているメディックさんのブログでガスガンのことが書かれてあったので、触発されて思い出したことを書いてみようと思う。

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DATE: CATEGORY:おもひでポロポロ
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土曜日は仕事の打ち合わせで名古屋まで遠出だった。
昨年の秋の釣り以来の遠出で、久しぶりに高速道路の一人ドライブを満喫してきた。本当は隣に気心の知れた話し相手がいてくれるのがいいのだけどね。

名神高速道路を京都から岐阜羽島というところまで約1時間半ほどのドライブだったのだけど、途中に関ヶ原という名神一番の難所を通る。ご存知の通り中世の昔からの交通の要所で、天下分け目の合戦が行われたところとしても有名だ。ここが難所というのは、地形的な要因で冬に強い風と突発的で局所的な大雪が降るからである。彦根を過ぎて関ヶ原に至る途中、道路脇に「ゲリラ雪に注意」という看板が出ているのだけど、この「ゲリラ雪」というのが本当にすごいのだ。

初耳の方のために、JAFのサイトから以下の文を引用しておこう(一部抜粋)。
ゲリラ雪
広い意味では突如降る強い雪全般を指す俗語のようですが、ドライブにおいては名神高速の養老サービスエリア、関ヶ原IC(どちらも岐阜県)あたりから八日市IC(滋賀県)あたりまでの区間で降る局地的で予測不可能な突然の雪を指す俗語としてよく使われます。短時間に猛烈な雪が降ってくることも多く、冬にこの地域を通過する場合は天気予報が「晴れ」と予想していても雪に対する心の準備とチェーンなどの装備を整えてから出発しなくてはいけません。
この「ゲリラ雪」の看板を初めて見たときは、機関銃を乱射しながら雪が降ってくるのかと思ったが、そういうことではないらしい(笑)。しかし突如として握りこぶし大の雪のカマタリカタマリが空からたくさん落ちてきて、見る間に埋もれてゆく、そんな遠慮会釈のない雪である。「なごり雪」は降るときを知るらしいが、「ゲリラ雪」は何の前触れもなく突然大量に降ってくるので恐ろしいのだ。

10年ほど前の釣りの遠征で、こいつに出逢ったことがある。降り始めにギリギリで関ヶ原をすり抜けて、釣りの現場にほど近いひとつ向こうのインターチェンジで降りることができたのだけど、現場を目の前にしてみるみる雪が降り積もっていきそれ以上クルマを進めることができなくなって、あきらめて引き返すしかなくなった。

そして帰り道が大変だった。お昼ごろに這々の体でさっき降りたばかりのインターに着いて高速に乗ることができたものの、関ヶ原でゲリラが暴れているとのことで、全面通行止め。関ヶ原インターで強制的に降ろされて下道を走れと言う。しかしそんなドカ雪が降る峠の中で降ろされても手も足も出ないのであって、そもそも雪で進める道が少なく、あってもあちこちでクルマがエンコしているなどで通ることもできなかったりして、彷徨いに彷徨ったあげく身も心もボロボロになってそれでもなんとか京都に帰り着いたのは、翌朝午前5時だった。

季節はちょうど今ごろのことだった。
今思い出しても鮮明に甦る、苦い記憶である。

ゲリラ雪、恐るべし。

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時は明治の終わり。大日本帝国海軍は第六潜水艇の初代艇長・海軍大尉、佐久間勉という人をご存知だろうか。戦前に学校教育を受けた方なら、修身の教科書に載っていた人なのでご存知だろうけど、まずこのブログをご覧になっている方はご存知ないだろうと思う。

国産初の潜水艇である第六潜水艇について詳しくはこちらをご参照いただき、特に「事故概要」と、最下段の外部リンク先「佐久間艇長の遺言全文」をご覧いただきたい。艇長は、沈みゆく艇の真っ暗な中、酸素がどんどんなくなっていく中で最後まで最善を尽くし、また、乗組員の家族を気遣ったメモと遺言を綴って静かに死んでいった。

佐久間艇長は、福井県三方町出身で、ボクの遠縁にあたる人である。父方の祖父が養子(婿)に入った先の従兄弟だと聞いていて、親父は子どものころから艇長のことをよく聞かされて育ったそうだ。メモの写しなども見たことがあるらしい。ボクもこの話を子どものころから親父に聞かされていて、だからこの人を知っている。福井の本家のある集落の入り口の国道沿いに「佐久間艇長生誕の地」という碑が立っている。

だからというか、親父は祖父からことあるごとに「とにかく恥ずかしい生き方をするな、親戚に申し訳がたたない」と言われていたそうである。果たしてそう言っていた祖父自身がそう生きえたかどうかが大いに疑問なのだけど(養子に入った先の身代を食い潰して京都に出てきた)、しかし、佐久間艇長の自身の美学を貫徹する姿勢が、祖父や親父、そしてボクの生き方に大きな影響を与えていることは、間違いなく確かであるように感じる。

・・・しかしながら。
「謹ンデ陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ 我念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ」

(訳:謹んで天皇陛下に申し上げます。私の部下たちの遺族が生活に困ることのなきようお願い申し上げます。私の念頭にあることは、ただそれだけです)
メモに記された、佐久間艇長の公遺言。
自分がそのような状態に至ったとき、果たして艇長のように静かに最期のときを見つめることができるだろうか。
昔からのテーマである。

未だに答えは見つからない。

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モノクロ写真

子どものころ、よく山に登った。
といっても子どものことだから、そんなに本格的な登山ではない。今で言う「山歩き」程度のものである。

親父が好きで、よく連れて行ってもらった。京都周辺の最高峰・愛宕山や、琵琶湖西の比良連山の最高峰・武奈ケ岳など、1000メートル前後の、登山ルートのしっかりした山ばかりだ。

春、山の雪が融けると、まず愛宕山(標高924m)に登る。当時は北野天満宮近くの西陣の下町に住んでおり、京都バスに乗って清滝というところまで行き、そこから山に登っていた。愛宕山の山頂には愛宕神社という有名な神社があって、かの明智光秀が本能寺で織田信長を討つ前にここに参って、急襲の成功を祈願したと伝わる。歴史小説好きな親父が、登りながらそんなことを語ってくれた。

昨日、少し部屋を整理していて懐かしい写真アルバムを見つけたので、そこから一枚抜き取ってみた。愛宕山頂でのスナップである。ツィードのハンチングを被り、同じくツィードのニッカボッカに編み上げのゲイターと登山靴という、英国伝統のアウトドア・スタイルで身を固めた親父の姿が、現在のボクに重なって見える。ボクは自分の好みで今のスタイルを選択したつもりなのだが、それがこんなに昔の写真にすでに示されていようとはと、ただ驚くばかりだ。
このスタイルは、「そこに山があるから」の名言を遺し、1924年に人類で初めてエベレストの8000メートルオーバー到達を記録して行方不明になった英国の登山家ジョージ・マロリー以来の、山屋とアウトドアマンの伝統である(このリンク先の最下段『そして謎は残った』に、死後70余年を経て1999年に発見されたマロリーの遺体写真がある。壮絶な姿。アウトドアマンの死は、かくありたい)

ボクは、阪神タイガースのキャップを被り、半パン姿という元気な少年。お小遣いを貯めて買った登山用の丈夫な帆布製ザックを背負い、得意満面である。お揃いの編み上げのゲイターに、同じく登山靴。滑り止めのメタルの歯がグリップに仕込んであるやつだ。親父のお下がりのイギリスのテイラーメイドのツィード地ズボンを、子どもサイズのニッカボッカに仕立て直してもらったのを愛用していたのだけど、これはそうなる直前らしい。登山口で見つくろった木の枝を杖代わりに振り回しつつ、山頂まで登ってくるのである。

隣の、みすぼらしい頬被りのは2つ歳下の弟。こやつは寒がりでやせっぽちの軟弱者で山登りにはあまり連れてこられなかったので、こうして一緒に写真に写っているのは珍しい。山登りにも関心を示さなかったし、釣りにも関心を示すことはなかった。

背景は霧にかすんで見えないが、京都の町を一望できる絶景である。景色がちゃんと見えていたら、現在とは随分様子の違う京の町をお見せできた筈なのだが。

現在ボクの住むマンションの廊下から、愛宕山がいつも見えている。
こんなに近くなのに、なぜだかとても遠くへ来てしまったような、そんな心地がする。
物理的な距離と心理的な距離は、比例しないもののようだ。

遡ること30年近く前、1978年ごろの、懐かしい一枚。

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広沢の池

先日、嵯峨野は大覚寺の近くに住む親父のところに用事で行ってきた。写真はそのとき撮った、近くにある広沢の池というところの寒々しい景色。大覚寺の景色でも撮ってみようかとも思ったが、この時季は、道路交通法違反を平気でするマナーもへったくれもない大型観光バスの大集団に辟易してやめた(一度くらいはあいつらを一斉検挙してほしいものだ)。用事といってもつまらないもので、要は、還暦を過ぎて独り暮らしをしている親父の様子とご機嫌を伺いに行ってきた、というワケである。

近くにある小さいけどお洒落なベーカリー&カフェにオープンデッキがあって、そこならゆっくり色んなことを話せるだろうということで、午後の太陽が差す陽当たりのいい席に陣取って、特製のフルーツ・ティを飲みながら、最近の身の回りの出来ごとや姉弟のこと、親戚のことなどをネタに昔話や馬鹿話をして過ごす。

前にも書いたけれど、上げ下げの激しい人生を送ってきた親父と色んな話をするのは、とても楽しい。同じDNAがどう考えてどう生きてきたか、それを聞くのは、今後のボクのためにも大いに参考になる。もっとも、DNAが似ているからといって必ずしも似たような人生を辿るということはない。大事なことは「どんな素質があるか」ではなく「何を選択したか」である。ホグワーツの偉大な魔法使い、アルバス・ダンブルドアの言葉を拝借。

子どものころ、親父が本屋の丸善に勤めていたときがあって、そのときにたくさん本を買ってきてくれた。子ども向けの単なる童話に留まらないミヒャエル・エンデの本などに始まって、大人が読むような岩波や福音館の大判の分厚い本や国内外の伝記物、歴史物などを小学校4年ぐらいから読み漁ることができたのは、親父のお陰である。買ってきてくれた本を片っ端から猛烈に読破するので、親父は少ない小遣いの中から一生懸命やりくりして、それでまた本を買ってきてくれた。三人姉弟の中で、ボクが一番多く本を買ってもらって読んだだろう。

釣りもそうだ。小学生の夏休みに家族や親戚と泊まりがけで海に泳ぎに行って、夜明け前に姉弟の中からボク一人だけ叩き起こされて、キス釣りに連れて行かれた。サンドベージュの砂浜の向こうに広がる遥かな碧い水平線から、空をオレンジ色に染めて夜明けの太陽が静かに昇ってくるのを眺めながら、少年はサカナを釣った。ボクの釣りの原体験は、だからここにある。今も親父は海釣りの現役で、いいシーズンには気まぐれに海に出かけて、タイを釣って遊んでいる。好き勝手に釣りの話をしているときが、一番いい顔をしている。

話の最後に、死ぬ話になった。
「親父が死んだら、親父がいつも通っているあの大好きな海に骨を撒いてやるよ」とボク。
「うん、よろしく頼む。・・・でもな、あの海にはダメだ」
「・・・なんで?」
「釣り友達がな。オレの顔をしたサカナが釣れたらイヤだと言うんだ」
ボクは涙が流れるほど爆笑した。

親父は64歳。老け込むにはまだまだ早いのだけど、独り静かに来し方を見、行く末を見て、覚悟をしている。クールに、しかし楽しみながら、今までしてきたと同じように好き勝手に、それまでの残された時間を独りで過ごすつもりのようだ。
「オレはそういう生き方しかできんから」と、ポツンと漏らす。
「イヤなDNAだな」とすかさずボクが言うと、今度は親父が涙を流して爆笑した。

陽だまりが暖かい、ある日の午後のひととき。

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